あけましておめでとうございます。
年早々嫌われそうな話していくブログです。
これは私の中での人のカテゴライズの話をしたいだけなんだけど。
よく言うじゃないですか、元ネタとかあるのか知らないけど、「”好き”の反対は”嫌い”じゃなくて”無関心”」だって。本当にそうですかね??
私のことを知ってる人はわかると思うんですけど、私にとって大まかに言っちゃうと人の認識って3種類で、要は好感度でマイナス・ゼロ・プラスっていう形ですごくはっきりしてるんです。その中でも細かく差があるのは確かなんですけど、でも大体の人に関してその人がその3つのどこに位置するかって聞かれたら迷わずに即答できるくらいにははっきりしてると思います。ちょうどこの3つが「嫌い」「無関心」「好き」の順で対応するんじゃないかなって。
このプラスにあたる人を当然私は友達とか友人って呼ぶんですけど、はっきり言ってかなり少ないです。言われたことあるなって人は私から気に入られてるので自信持っていいです。(何様・・・)
次に真ん中のゼロってカテゴリーは、初めて合う人、つまり知らない人がまず振り分けられるところです。まあそこは当然ちゃ当然ですけど、そこからプラスなりマイナスなりに移動していくための点数っていうか、その必要な要素の程度が私は多分人よりも重たいんだと思います。なので、付き合いが長かったとしても私にとってはゼロのカテゴリーにいる人もいっぱいいます。
友達だと思っていないとか言うとたまにショックを受けられるんですけど、多分「友達」っていう言葉の重みがその人と違うだけで、嫌ってるとかではないんです。ゼロの人でもむしろある程度は気に入ってる人もいますし。
でも要は結構どうでもいい人って認識の人が大部分なのは確かです。嫌いなわけではないのでそこは勘違いしないでほしいんだけど、極端な話をすればここにいる大体の人が事故とかで亡くなったとしても多分私はあんまり何も思わない。まさによく言われる「無関心」っていう認識に当てはまるんじゃないでしょうか。
最後にマイナス。こりゃぁ相当嫌いな人です。私は基本的にはゼロの人に対してかなり無関心なので、そこからマイナスに移る人ってのはそれほどの嫌な言動をしたことが具体的にある人です。前述のようにどうでもいい人が死んだら何も思わないですけど、マイナスの人が亡くなったら多分私は喜びます。なにも死にこだわらなくても、例えば大学にいるある人に対して私は、あの人卒論落とさないかなぁって正直思ってました。
元の話に戻しますと。
「”好き”の反対は”嫌い”じゃなくて”無関心”」
この言葉をこの「好き」などの主語にあたる人を観点にするなら、違うと思います。私のカテゴライズはかなりはっきりしてますけど、そこがもう少しぼんやりしてるだけで、それぞれのマイナス・ゼロ・プラスの人に対する感情の方向性ってのはみんなそんなに変わらないんじゃないかなって思ってます。
ただ、この言葉ってきっと本来、「好き」とかを向けられる側の言葉なんですよね。
例えばまたもや極端な話をするなら、自分が死んだときにその人に何も思われないくらいなら、喜ばれたとしてもなにかの感情を向けてもらいたいっていうヤンデレ的な・・・。
まあぶっちゃけこの言葉をとっかかりに私のカテゴライズの話がしたかっただけなんで。
でも私は自分が気に入った人にはやっぱり相手にも気に入ってもらいたいと思うんですけどね。私は鈍いんで今まで誰かに嫌われた自覚はないんですけど、きっと気に入ってる人から嫌われてるって悲しいんじゃないかなって思います。
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