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人の優しさには「裏」があるか?

 なんとも変な奴って思われてそうなタイトルですけど、これで記事書こうって思ったのにはきっかけがありまして。

 まあなんのひねりもなく、タイトルまんま、どう思うかの相談が友人から突如飛んできたんですね。その友人がどんな出来事があった末にその疑問に至ったのかはわからないですけど(普段からこの手のことたまに聞いてくるやつなので何が起こるでもなく思い至っただけの可能性も大)ちょっと考えてみるのもおもしろいかなって。

 

 裏っていう表現が既に悪い印象を持たせすぎてると思うんです。そもそも「裏」って言葉の悪そうな印象自体が実は考えてみるとおかしな話なんですけど、そっちに広げるのはちょっと迷走が過ぎるのでまたの機会に。

 このテーマは大概「”裏”はあるか?」って表現で考えられると思うんですけど、この「裏」の捉え方によって大いに変わってくると思うんですね。もちろん良からぬ下心によって表面上優しくしてくる「優しさ」も少なからず存在すると思います。これは「裏」の持つマイナスイメージとも違わないまさしく「裏」だと思います。

 

けれど、その友人が考えていたのはもっと先の話で、人に対して(素直な意味で)優しくするにあたって「理由」があることを指して、「優しさには裏が(ほぼ必ず)ある。」と考えているようだったんですね。私自身もこれには賛成です。

私自身が誰かに優しくしようとするのは基本的に相手に対して良く思われたいからでし、人からの優しさに関しては毎回その都度「なんで」を考えたりなんかはしませんが、あえて考えるなら理由はあるんだろうなと思ってます。

 

友人はその考えに関して、「人の優しさを素直に受け取れないやつと思われる」と感じてるようだったのですが、それは違うんじゃないかなと私は思います。

「相手が自分に対して、そのような”裏”を持って接してくれる」と感じるのなら、その「裏」は喜ばしいものじゃないかなと思うんです。その「裏」にちゃんと目を向けられるというのは、「優しくされる」ことに対してもその相手に対しても誠実に向き合っていると言えるのではないでしょうか。漫然と相手の優しさを享受し、その上に胡座をかくような人にはならなさそうな気がします。

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